'02もてぎロードレース選手権 第1戦

作成日:02/04/13(土)
更新日:02/06/01(土)

もてぎでは初の完全2Dayとなった今回。個人的には93年のハイランド以来、実に9年ぶりとなる。
予選と決勝が別日となるので色々と大変な事もあり、あまり好まない人が多い中、個人的には練習,予選,決勝と3日間を満喫出来るし、本来的かな〜なんて感じで結構好きだったりする。
と言う事で金曜の特スポからもてぎ入り。


4月5日(金)

−公式練習−

1本目9時45分。
タイヤ新品。ピストン新品。左シリンダ再メッキ。C10ヘッド投入。
5周ナラシ後、全開走行するが、風が強く、とてもまともに攻められない。ベスト6秒64。
2本目2時丁度。
やや風は弱まったものの、時折突風にあおられる中、最終ラップの4秒フラットがやっと。1本目で速かったT-PロジェクトのT選手マークだったが、楽勝でついていけない。


4月6日(土)

−公式練習−
朝一で前後のタイヤを新品に交換。ピストンも両側新品。練習最後の1本。
ナラシ4周後からのタイムアタックで最終ラップにやっと4秒をきり、3秒62。

−公式予選−
ごとっちにセッティングしてもらう。まず練習で走ったセッティングで暖気し、確認する。

ごとっち:「とりあえず筒替えましょうか。」

筒を替えて確認、メインを替えて再度確認、明らかに音が変わってくる。

ごとっち:「スローなに入ってます?」

HIRO:「ん〜・・・とぉ・・去年替えてからいじってね〜から出荷時に戻したかな〜?っていうか出荷時って何番だっけ?」

ごとっち:「出荷時だったら25番ですね。エアスクリューはなん・・・出荷時ですか?」

HIRO:「はい。出荷時で。」

セッティングは効率よく進み、暖気でもこれが自分のバイクかと思う程いい調子。
とにかく1周目から全クリアでベストタイム更新を狙う。予選開始5分前にピットアウト出口の先頭へ。
コースオープンを待つ時間がやけに長く感じる。そして水温が60℃を超えた時、突然エンジンが止まる。と、同時に予選開始。笛の音と同時に両手の黄旗が上がる。
慌ててバイクを端へ寄せ、コックを確認すると、勿論OFF。
コックを開け、エンジン始動。その間にも2台、また2台とコースへ出て行く。先頭へ並んだ意味無し。
4台先に出られた所でコースインし、とにかく最初から飛ばす。1周で全員抜き、トップでコントロールラインを通過。リカバリ完了、公式予選計測開始。
エンジンは調子いい。ダウンヒルで今まで感じたことの無い風を感じる。トップスピードは体感で確実に上がっている。こんなに速かった事は無い。

1周目5秒78。4周目から3秒代に入れるが、そこから伸びない。
3秒9、3秒7、3秒6、3秒4。魂を削るように少しずつ、少しずつタイムを縮める。一発が出ないまま8周目、ついに集中力が切れ始めた。5コーナー突っ込みすぎで失敗し、4秒5。ヘアピン立ちで振り向けば金さん。
ここでやめればよかったが、最後の力を振り絞って最終ラップ3秒8。振り返ってしまった周がベストラップだった金さんの3秒293に遅れる事コンマ0.176秒の3秒469で3番グリッド。2秒に入れるどころか3秒前半がやっと。ポールからは0.9秒差。

予選が終わり、エンジンが冷えるのを待つ間、予選2位になった金さんの所へ遊びに行く。
引っ張り賃を徴収する為だったが、藁ってかわされた。振り切ろうとした自分が甘かった。金さんは今年、もてぎではあまり走ってないのにさすがだと思った。

明日の決勝に備え、整備を始める。ここでもごとっちに色々と指導してもらい、エンジンの他も各所をチェックしてくれた。TZ乗って7年目、このバイクに乗り始めて3年目、知らなかった事多すぎで、いかに適当にやってたかを再認識。ちなみにごとっちは教え方もうまい。初歩的な事が分かって無くても親切に教えてくれる。彼に色々とバイクを見てもらうなか、リーダーとしての素質を伺うことが出来た。まぁ負傷中の将来ある若手ライダーを無理やりレースに出場させようとするところはCompusと相反するものだが、それも彼のやり方なのだろう。

予選が終わってからパドックを後にする間、ほとんどの時間を整備に費やす。自分のバイクにかかりきりで他クラスの予選結果を気にする余裕も無かった。

整備が終わって、待たせてしまったみんなと飯を食いに行く頃、やっと今日を振り返る余裕が出てきた。
ベストを更新出来なかった事。1秒近く離れているトップとの差。
今回は来られなかったアキラに電話し、状況を伝える。
ごとっちに手伝ってもらった事、今までに無くバイクが速くなった事、それでもタイムが出なかった事、思わぬ伏兵の登場、決勝へ向けての不安・・・。

「結果は後からなんかついてこない。勝とうと思わなきゃレースには勝てない。」

1秒差ならなんとかなる。と言って、なんとかしてきた男の言葉に勇気付けられ、遅くなった夕飯にありつき、酒に酔う。


4月7日(日)

−決勝−
雨音とともに目が覚める。当たらなくてもよかった前日の予報が適中し、夜中過ぎから降り始めた雨で完全にウェットコンディション。
パドックに入る頃雨はやみ、このまま降らなければ昼過ぎに行われるGP250はドライでいける。
天気は回復へ向かう予報だがしかし、雨は降ったりやんだり。
完全ウェットレースとなったST250/NSR150の決勝後、ごとっちとやまさんに来てもらい、3人でセット出し。

筒を替えて確認、メインを替えて確認、微調整に入った頃、意味不明な会話でセットアップを進めるごとっちとやまさん。

ごとっち:「経験的には ∬ ∈ Ψ ∂ を換えて ♀ に ♂ 入れてどうしたこうした・・・・」

やまさん:「僕的には ♀ 絞って ♂ 入れて θ § Θ Ω Σ で様子をみたい感じなんですよね〜。」

ごとっち:「スロー換えてみたいんですけど、まだ時間あります?タイヤやんなきゃいけないし、もうやめときますか?」

HIRO:「いや、やろう!」

変更の指示を出し、レインタイヤの手配に行くごとっち。

やまさんに手伝ってもらいながら、ジェットを変更。時間に追われる。

再度暖気を始めた頃、戻ってきたごとっちとやまさんで議論が続く。既にチンプンカンプンな俺。

首尾よく最終セッティングが決まり、ごとっちに借りたホイルにレインタイヤが組まれ、運ばれてくる。

goma:「セッティングどこ変えたの?」

HIRO:「エアスクリューを・・・よくわかんね。」

goma:「タイヤどうするの?」

HIRO:「ん〜・・・まだわかんね。」

GP125の決勝がスタートし、GP250のスタート前チェックが始まろうとしている。決勝まであと2時間。
タイヤの選択に迫られる。GP125決勝のモニターで路面を確認する。既に雨は上がっているが、今のところほぼ全面ウェット。

ごとっち:「とにかく、人と違った事しちゃだめなんすよ。絶対周りに合わせないと。みんなどうしてるんでしょうねぇ。ちょっと周り偵察に行って来ますよ。」

自分の事のように俺のレースを心配をしてくれるごとっちに感謝の念を抱きつつ、スクーターで立ち去る彼を見送った。
GP125の決勝が終わり、TT-MOTEGIが始まった。
とりあえず、スリックのままスタート前チェックを受けに行く。やはりみんなもうレインを履いてチェックを受けている。
ピットへ戻ると、台車に乗せられたレインタイヤにウォーマーが巻かれていた。とりあえず、バイクに履いているスリックにもウォーマーを巻く。車体のセットもやまさんとごとっちで議論が続く。
ウェットの走行は97年以来。もう完全に2人に任せた。あとはタイヤを決断するのみ。

ごとっち:「ひろさぁ〜ん。こっちきてちょっとイメージつかんでくださいよ。」

何かと思ったら、モニターには鈴鹿でやっているGPが映っていた。ウェットとは思えない攻め方をしている。それを見ながら「こんな感じこんな感じ」とごとっち。

HIRO:(こんな感じって言われてもな〜。しかしこいつらなんでこんな走り方して転ばねーんだ・・・)

と思って見てると結構あちこちで転倒も目立つ。

HIRO:「こんな感じでカシャーンと?」

スタート進行まで残り30分。雨はもう降る気配を見せず、路面からは水蒸気が上がり、急速に乾き始めている。もう迷っている時間も無くなった。

HIRO:「レインだ!レインで行こう!」

前後ホイールを交換し、レインタイヤを装着する。

ラジエターにガムテープを貼るごとっち。

ごとっち:「サイティングで水温確認してきて下さい。」

HIRO:「わかった。」

goma:「ボードはタイムと順位?」

HIRO:「あ、う〜ん・・そうね。」

適当にカラ返事する。もうあまり他の事を考える余裕も無くなってきた。

スタート進行が始まった。つなぎに着替え、ピット前で暖気の完了したTZをごとっちから受け取る。ピットロード閉鎖1分前のボードが掲げられた。もう全車コースインし、残っているライダーは自分一人となった。
ゆっくりとアスファルト部分にバイクを運び、スタート練習。勢いよくピットを飛び出し、コースイン。サイティングラップ開始。
路面の様子を見ながら130Rまで慎重にタイヤを暖め、S字でしっかり両端を路面につける。
ダウンヒルストレートエンドで水温を確認。最終コーナー立ち上がって再度水温を確認。
コースは全面ウェットから、所々ライン上だけハーフウェットに移ろうとしている。

グリッドへつくと、フロント,リアスタンドがかけられ、前後タイヤにウォーマが巻かれた。まさにGBSフルワークス状態。


ごとっち:「水温どうでした?」

HIRO:「ダウンヒルで58度、最高61度まで上がった。」

ごとっち:「どこで61度まで上がりました?」

HIRO:「そこ、最終上がってから。」

何枚かのガムテープをラジエターからはがすごとっち。

選手紹介が行われ、1分前のボードがあがる。ウォーマが外され、スタンドから下ろされたTZにまたがり、エンジンを始動する。

ウォームアップラップではしっかりとフロントに過重をかけ、ペースを上げ気味にして前後タイヤのグリップを体に叩き込む。グリップしている事を体が理解していれば、多少滑っても恐くない。

トップでグリッドへつく。

HIRO:(早く、早く始まれ・・・)

ギアが1速に入っている事を確認。シグナルレッド点灯。

アクセルを小刻みにあおり、高回転をキープする。

HIRO:(長い・・・まだか・・・)

シグナルブルー!決勝スタート!!

クラッチのミートはまずまず。完全にレバーを離した直後にフロントが上がり、少々バランスを崩す。たまらず2速へ。
そして3速、4速。右側の視野にライダー入る。

左寄りに1コーナーへのアプローチでブレーキング。後列のライダーが両側から前に出る。5番手で1コーナーへ進入。
1コーナーの立ち上がりでリアの確かなグリップ感を得られる。立ち上がり加速で1台パス。前には3台。

「序盤で飲み込まれたら終わりですよ。」決勝前、ごとっちに言われた言葉が頭をよぎる。

ブレーキングでインから1台抜き、3コーナー進入。直前のライダーはバンクさせる事が出来ないのか、アウトにはらんでいくところを更にインからパス。
4コーナー立ち上がって前には1台。5コーナーへのブレーキングで真後ろにつける。

HIRO:(いける!)

130Rでラインを変え、S字進入でインに並ぶが、アウトからかぶせられる。続くVコーナーでまたインをついて先に進入するが、ラインがクロスして立ち上がりは先にいかれる。ヘアピンで再度並ぶが、またしてもアウトからかぶせられ、一旦引く。
そのままの順位でコントロールライン通過、2周イン。

もうどこでもいこうとしてた。1コーナーのブレーキングでは抜けそうで抜けなかったが、3コーナーの進入でパス。トップで2周目のコントロールラインを通過。3周イン。

ヘアピンの進入でインをつかれ、2位で3周目を終える。4周イン。

3コーナー進入でパスし、再度トップに出るが、ヘアピンの立ち上がりでリアが大きく滑り、立ち上がり加速に影響を及ぼす。スリップから並ばれ、ダウンヒルのブレーキングで前に出られる。再び順位を入れ替え、2位でコントロールライン通過、5周イン。

バイクは乗りやすく、ストレートも伸びている。

HIRO:(勝とうと思わなきゃ・・・か。)

何度抜かれてもまた絶対抜き返してやろうと気合が入った。そう、勝とうと思わなきゃレースには勝てない。

そして5コーナーの進入で再度抜き返し、トップで最終コーナーを立ち上がる。


Compus
RoadRacing

HIRO:(−1・・・マイナス1?)

通常は前のライダーとの差をマイナスで表示するが、1秒先なら本人にも見えてるし、何しろ自分はトップを走っている。

HIRO:(後続との差だ。トップ争いしていた奴が1秒後方にいるのか。)

goma
ずっと順位を出してました。だって2段目は順位って言ってたし〜。ちなみに「−」は単に戻し忘れです。

HIRO:(もっと・・・もっと攻めなきゃ。また抜かれる・・・。)

急速に乾く路面にレインタイヤの悲鳴が聞こえる。ライン上はほぼドライ。フルバンクでアクセルを開けられなくなってきた。

HIRO:(端っこはもう使えない・・・なるべく立てて開けなきゃ。)

コントロールラインを通過するごとに後続との差を確認する。

7周目。
Compus
RoadRacing

段々使えなくなっていくタイヤと格闘しながら、ペースアップに努める。しかしこれだけ長時間トップを走るのは未経験。どうやってハイペースをキープすればいいのかわからない。

HIRO:(・・・そこにいるはずの自分だ。)

随分前、ハイランドでやってた頃、単独でタイムを出すときにアキラが話していた事を思い出す。
本当は、自分は5メートル先にいるはず。と思って走る。5メートル先にいるはずの幻影を追いかけると言うもの。


8周目。
Compus
RoadRacing

HIRO:(ピッタリついてくる。振り返っちゃダメだ。振り返ったら絶対食われる・・・。)

9周目。
Compus
RoadRacing

HIRO:(くそー!どんだけペースアップすりゃ突き放せるんだ。ちょっとでも気を抜いたら絶対刺される。それにしてもあと何周残ってるんだ・・・。)

レースは最終ラップへ突入。確信は無かったが、なんとなくこの周が最後のような気がしていた。今度はまたいつ刺されるかと不安なまま、S字、Vコーナー、ヘアピンと攻めつづけてダウンヒル。

HIRO:(来るならここだっ!絶対抜かれない!!)

ダウンヒルのブレーキング。ギリギリ150mまで我慢。

HIRO:(ふんがぁー!!!!)

ドライの路面に使い切ったレインタイヤがよれよれと左右に逃げ場を求め、必死でこれを食い止める。90度コーナーをクリアし、最終コーナーへ。

HIRO:(よし!来ない。頼む。この周で終わってくれ。)

最終コーナーを立ち上がる。コントロールラインが黄色く点滅している。

HIRO:(やっぱり!最終ラップだった!!)

この瞬間、初めて後ろを振り返る。ライダーはいない。

HIRO:(勝った!俺勝ったんだ!!)

全開でバイクを右へ寄せる。みんながプラットフォームで手を振っていた。左手のガッツポーズでこれに答え、チェッカーを受ける。

HIRO:(うっそぉ!俺まじ勝ったんだ!本当に勝っちゃったんだ!!)

クールダウンラップ。いや、ウィニングラン。この時、やっとこのレースに勝ったんだと確信した。俺はこのレースを制したんだと。

1コーナーを立ち上がってまた後ろを振り返るが、1秒後ろにいたはずのライダーはまだ来ない。「あれ?」と不思議に思ったが、もうどうでもよかった。1位でチェッカーを受けた事に変わりは無い。

コースのいたるところでオフィシャルが手を振ってくれている。レースデビューした91年の筑波選手権から数えて11年目、初めての優勝だ。まさにこの上ない、最高の気分だった。レース人生過去最高の1周を思う存分満喫する。

90度コーナーを立ち上がり、いつもならそのままピットレーンへバイクを運ぶが、今は違う。最終コーナーを回り、レースの終わったホームストレートへ帰ってくる。


コースから表彰台へと誘導される。エンジンをきり、途中、やまさんやてんちょに肩をパンパンたたかれる。表彰台まで武士さんにバイクを押してもらい、表彰台の1番前にバイクを止めるとごっちゃんにスタンドをかけてもらった。バイクから降りるや否やGBSのみんなに握手を求められる。

喜びの共感もつかの間、そそくさと係りの人に促され、表彰台の裏側へ案内される。ここでやっとグローブとヘルメットを取ることが出来た。

間もなく自分の名前が呼ばれ、表彰台の一番高いところへ登る。見下ろすとみんなカメラを手にしてこっちを見ていた。


表彰台に乗るのは97年のハイランド以来5年ぶり2度目。ここもてぎでは初めてだ。
アナウンサーに名を呼ばれ、合図と同時に生まれてはじめてのシャンパンファイト。


ちなみにシャンパンファイトって奴も初めて。ハイランドの時は優勝した人だけだった。
インタビューもなく、簡素な表彰式が終わり、バイクの面倒を見てくれたごとっちを呼び、記念撮影。


表彰台から降りるともてぎのホームページ担当と名乗る人からインタビューを受ける。
既にホームストレートは閉鎖され、地下通路からピットへと歩きながらのインタビュー。

ホームページ担当と名乗る人:「えぇっと、内澤選手はもうベテランの域という事でうんぬんかんぬん・・・」

HIRO:「ベテランっつーか、始めたの遅かったんで案外経験少ないんですよ。歳ばっかりくってるつーかどーだのこーだの・・・」

ホームページ担当と名乗る人:「去年の戦績などはかくかくしかじか・・・」

HIRO:「いやぁ、去年は泣かず飛ばずであーしたこーした・・・」

ホームページ担当と名乗る人:「え〜、、、で、こんな事お聞きするのも失礼かとは思うのですが、36歳でGP250って言うのはどうゆう?」

HIRO:(どうゆうって言われてもな〜、いまどき30超えてレーサー乗ってんのなんて珍しくもないし。)

HIRO:「う〜ん・・・乗ってて一番楽しいバイクだからです。」

ホームページ担当と名乗る人:「?それは、車体とかエンジンとか・・・?」

HIRO:「いや、まぁなんて言うか市販車とは違う乗り物っちゅーか、レース用っちゅーか・・・。」


無論、他にも理由はある。こんな事を言ったら同じクラスを戦うライダーからはヒンシュクを買うかもしれないが、一番の理由はただ単にコレだけだった。最高に楽しい乗り物と引き換えに、色々苦労する事もあるし、尋常じゃない程お金もかかるし、週末はほとんど整備で時間無いし。どーにも手間のかかりすぎるバイクだが、それでもやはり楽しさを選んでTZに乗り、このクラスを続けてるんだと思う。

ピット前に着いても暫くの間インタビューは続いたが、それが終わると早速アキラに電話で報告をする。

HIRO:「あ、もしもし。」

アキラ:「おーめーでーとぉー。」

HIRO:(なんでぇもう知ってやがる)

後から聞いて知ったが、最終ラップからチェッカーまでずっとてんちょと電話がつながっていたらしく、こちらの状況はよく把握していたようだった。

HIRO:「勝とうと思って頑張ったよ!ありがとう!」

アキラ:「どうよ?どうよ?」

HIRO:「あぁ。なんかすっげうれしいよ。勝てて良かったよ。」

アキラ:「そっかぁ、うれしいか〜。うん、うん。」

なにかもっと色々言いたかったが、言いたい事がありすぎて、今まで色々ありすぎて、ここまで長すぎて・・・。

そもそも俺がレーサークラスを始めたのも、こいつのTZに乗る事がきっかけだった。
93年、400もまともに乗れない俺がいきなりレーサーに乗ったもんだから、そりゃ成績は散々なものだった。エントリー34,5台中、20位〜24位あたりをうろうろしてTZ初参戦のシーズンを終えた。
しかし、これでレーサーの味をしめた俺は当然のように自分のTZが欲しくなり、今度は中古のTZを買った。まだうまく乗れないものの、1度こいつの面白さを知ってしまってからプロダクションに乗りたいとは思えなかった。

94年4月、自分で買ったTZを意気揚揚とハイランドに持ち込んだが、初走行でいきなり大転倒を喫し、左膝の複雑骨折でその後2年間は活動休止を余儀なくされた。その間アキラは連勝を続けて昇格し、おーたはどんどん速くなっていった。
いつか見ていろ、いつか見ていろ・・。走れるはずも無い体で、そんな気持ちを内に秘め、辛い2年間を過ごした。

96年、俺は再度中古のTZを買い、そのシーズンを再びハイランドで戦った。復帰レースとなった第2戦はビリ、第3戦はビリ2と、想像するにはたやすく、散々な結果だけが残った。
2年と言うブランクを痛切に感じた俺は、第4戦,第5戦を欠場し、練習に専念した。
そして迎えたその年の最終戦に出場し、6位入賞を果たしたが、最終ラップでおーたに抜かれ、5位から6位へと転落しての結果だった。嬉しくもあり、悔しさも残る複雑な初入賞に、ブランクの長さを痛感せざるを得なかったが、復帰したシーズンの締めくくりとしては上出来だと自分を納得させた。

第3戦からのエントリーとなった97年。エントリー台数は10台を下回り、激減の年となったが、国内に降格したアキラと戦う初めての年。この年、アキラは第1戦,第2戦と敵無しの強さを誇っていた。
予選はアキラに続く2番グリッドを確保し、初めてのフロントロー。しかし、そのタイム差は約6秒と大きなものだった。決勝も序盤まで2位をキープしていたものの、結局2台に抜かれ、4位でチェッカー。表彰台には今一歩届かなかったが、前年を考えると少しずつ進歩している実感が持てた。
続く第4戦、前戦で抜かれたライダーを押さえきり、このレースも優勝を飾ったアキラに続く2番手でチェッカーを受けた。レース始めて5シーズン目、17戦目にしてやっと表彰台に登ったのがこのレースだった。
このレースを最後に俺はハイランドを去り、戦いの場をもてぎに移した。

そしてもてぎ初開催となる'97もてぎロードレース選手権第1戦は、関東地区のレベルの高さに圧倒されたレースだった。
あの無敵を誇るアキラでさえ予選3番手。俺にいたっては下から3番目だった。
決勝は雨の中、後ろからの追突で転倒リタイヤと散々な1戦だったが、自分のレース活動を考え直すいい機会にもなった。

翌98年は7耐に専念した事もあり、GP250に出たのは最終戦の1戦だけだった。夏を境にしてインターネットで仲間が出来始めたのもこの頃だった。
格上のライダー、やまさんを勝手にライバル視したまでは良かったが、決勝はフライングペナルティーを取られ、なんとも情けないレースでこの年を終え、やまさんは国際へ昇格していった。

99年、俺はTZを手放し、もて耐に専念した年だった。もて耐が終わってからは、乗るバイクの無い期間を我慢し、年末に思い切って新型のTZを注文した。今乗っている、大きく仕様変更された00年型のTZがそれだ。

新型を手にして望む2000年、4月から練習を重ね、やっとバイクにも慣れはじめた夏。もて耐の予選で転倒し、肺挫傷の他に肋骨や肩甲骨を負傷する。結局この怪我が響いてレースに出る事の無いまま年末を迎えた。もてぎでアキラがGP250のチャンピオンになったのもこの年だ。

怪我から回復した00TZ2年目の去年だったが、前半は怪我の影響からか思うように走る事が出来ず、レース自体は転倒したり、完走しても真中あたりとパッとしない内容だった。しかし、シーズン後半からやっと調子をつかみ始め、それは着実にタイムにも反映されてきた。レースと言うものに対する意識が変わってきたのもこの頃からだった。
自分でも手ごたえを感じつつ最終戦への希望をつないだが、今度はレースの前週に出場したミニバイクレースで鎖骨を骨折し、その希望も打ち砕かれた。
1年がかりで調子を戻して又転倒と言う結末で00TZ2年目の幕は閉じられた。
「打倒アキラ」に燃えていたごとっちは見事2001年GP250クラスのチャンピオンを獲得し、国際へ昇格した。

周りはみんな速くなっていく中で、俺だけがどんどん取り残されていく気がした。

そして迎えた2002年もてぎロードレース。今年こそはと1月から走りこみを開始し、セットアップに費やした時間とお金は過去に類を見なかった。出来る範囲を超え、徹底的にやって望んだ1戦だった。

勝てて良かった。うれしかった。それだけだった。それ以上続く言葉が出てこなかった。同じクラスでずっと一緒にやってきたアキラが電話口の向こうで何かとても喜んでくれていた。



帰り支度が終わり、コントロールタワーに賞品とトロフィーを取りに行く。

受付のねーちゃん:「クラスとゼッケンお願いします。」

HIRO:「GP250の78番です。」

受付のねーちゃん:「え〜・・・あ、おめでとうございます。それではこちらになりますね〜。」

トロフィーの他にGP250と書いたレーシング傘の入りの紙袋を渡された。どうやら傘は優勝賞品にしか入ってないものらしい。

HIRO:「あ〜。優勝なんですね〜。」

受付のねーちゃん:「あら、見てなかったんですか?」

HIRO:「ま〜見てなかったと言われれば見てなかったし、見たと言われれば見た気もするし。モニター見てなかったから展開はよくわかんなかったかな〜。」

受付のねーちゃん:「ははは、そうですか。優勝おめでとうございます。」

HIRO:「はい。どうも。本人に伝えておきます。」

コントロールタワーを出る。

HIRO:「いや〜、ちょーど大き目の傘欲しかったし、これ使えるよな〜。今持ってる奴ってもともとアキラのだし、かなりぼろくなっちゃってたし。」

goma:「傘よかったよね〜。SUZUKIだけど別に関係無いよね。あと何入ってんの?」

HIRO:「あとは〜・・・絶対使わないフォークオイルと絶対かぶらない帽子と、カレンダー。」

goma:「おっ!カレンダー良かったじゃん。」

HIRO:「うん。今年のまだ買ってなかったしな。ま、この2つだけでも良かったな。」

そのままGBSのピットへ寄り、お礼の挨拶をしに行く。

HIRO:「どうも〜。色々お世話になりまして、おかげさまで・・」

ごとっち:「あーHIROさん何もらいました?」

挨拶するや否やいきなり優勝賞品の入った紙袋に群がるGBSの人々。

「あっ、この傘俺の!SUZUKIだし。」

「フォークオイル何番?あ、いらね〜。」

HIRO:(こ、この人達はいったい・・・)

ごとっち:「んじゃGBS恒例、分け前じゃんけん大会〜。」

HIRO:「え、あ、いや、これ俺がもらって・・」

ごとっち:「もらったものはみんなのものなんすよ。あHIROさんも参加できるんすよ。はいじゃーん・・」

HIRO:(いや、できるっつーか・・・)

GBS:「けーん」

HIRO:「ぽい・・・。」

何故かじゃんけんに参加してしまう俺。

武士君:「やったー!傘げっとー!」

HIRO:(あ、その傘は・・・)

奪った傘を広げてさし、無邪気にクルクル回す武士君のかみさん。そして無常にもじゃんけんは続く。

HIRO:(これはどこまでが冗談でどこまでが・・・)

GBS:「じゃーんけーんぽい。」

今度はごとっちの勝ち。

ごとっち:「あ〜なんかもうたいしたの無いな〜。んじゃこのカレンダーでいいや。」

HIRO:(いいやって言うかそのカレンダーは・・・)

ごとっち:「ひろさん、帽子とフォークオイル残りましたよ。良かったじゃないですか。」

HIRO:(その2つだけいらないんだけど・・・)

ごとっち:「あ、もういいですよ。これ帽子かぶってほら。んじゃどうもお疲れさまでした〜。」

HIRO:「あ、はい。どうも・・・。」

使えないフォークオイルとかぶらない帽子の残った紙袋を手渡され、GBSのピットを後にする俺。

HIRO:「傘とカレンダー・・無くなっちゃった・・・。」

goma:「ってゆーか、なんでじゃんけんに参加するの?」

HIRO:「ん〜、、、このチームちょっと油断するとあぶね。どうやらあれがGBSルールらしい。」

GBSと言うチームを甘くみてたと言うか、ちゃんと理解していなかった。参加賞を持ってあそこのピットへ行くなど、怪我をした小鹿がライオンの群れに突っ込んで目の前でパタッと倒れてみたようなもんだった。やはりあそこにいる連中はただもんではない。恐るべしGBS。



帰り道、今日のレースを振り返る。レース直後は天にも上る気持ちだったが、時間の経過と共にそれも薄れていった。
人に出してもらったセッティング。人に借りたホイル。相次ぐライバルの転倒。ハーフウェットでのメーカーの違うレインタイヤでの戦い。

今回の優勝は偶然に偶然が重なった結果としか思えない。全てにおいて運が良かった。次回第2戦、更に気を引き締めて望まねば。



バイクショップCROSROADさんへ。

GBSレーシングさんへ。


〜 今回の教訓 〜

・もらったものはみんなのもの

以上

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