総括
作成日:98/09/15
更新日:98/09/19

98年もてぎ7耐参戦計画。いかがでしたでしょうか?

最初はほんの軽い気持ちで書き始め、「どうせこんなん誰も読まねーだろーなぁ。」と思っていましたが、
掲示板やチャットでの応援や励ましの書き込みにより、興味を持って読んでくれる人が居ることを知ると、
嬉しくなって、又書く気力が湧いてきました。

終盤はトラブル続きで、次第に書く量も増えてくると結構大変でしたが、読んで下さる方の励ましの声に支えられ、
書き続ける事が出来ました。

読む方も大変だったと思いますが、最後までこの様な企画にお付き合い頂き、本当に感謝しております。

最後に、『主催者への一意見』、『使用金額』、『参加した感想』をもって総括とします。


・主催者への一意見 〜レギュレーションについて〜

100cc以上で、オープンと言う前代未聞のレギュレーションにより開催されたもて耐ですが、コースレイアウト
がある意味独特ですので、結局パワーのあるビックバイクが決勝のグリッドを埋める事になりました。
もしハイランドだったならば、もてぎの逆転現象が起きていたでしょう。(それ以前に、大体ハイランドでやるわきゃないが)

決勝への出走を許されなかった、我々に比較的よく似た2チームを取り上げると共に、
主催者側へ言いたかった一言を付け加えさせて頂きます。

まず、KROG。
我々は、参戦計画が始まった今年の5月から、走行枠があるほぼ全ての練習日に、もてぎへ通っていましたが、
我々が行くと大抵いつも来ており、同じようにセッティングに苦しんでいたもう1つのチームがいました。
FZRよりも古く、とっくの昔の絶版車、カワサキのKR−1がそのチームのバイクです。
新車の様に綺麗なそのバイクは、良く手が行き届いており、ライダーの気持ちを反映するものでした。
ライダーも又速く、我々と同様、いやそれ以上に苦労し、努力していたチームだと思います。
結局本番を間近にトラブルが続いたらしく、決勝に進出する事が出来ませんでしたが、
まだ彼らのようなライダーが残っていたのかと勇気づけられる思いでした。

そして、雑誌でも取り上げられたフリーウェイ&RS−ITOH
70耐で最終ラップまでトップを走っていた’87FZR400は、最終コーナーで残りのガソリンを全て使い切り、
バイクを押しながらゴールラインを通過しましたが、その間、8台に抜かれ、
決勝を走る事が出来ませんでした。彼らの悔しさは痛切なものだったでしょう。

エントリーリストを見れば分かる通り、こういったチームは少数派ですが、
こんな人達が現実的に決勝を走れる耐久レースだったならば、もっとおもしろかったと思いますし、又それを望んでいます。

あくまでも400ccで中段グループを走った人間の意見として言わせて頂くと、
オープンと言う大前提を盾に、排気量やカテゴリーを問わず、どんなバイクでも単純に1周のラップタイムで選抜する理由において、
『スピードが遅い中排気量以下のバイクは、パワーのある速いバイクとの混走は危険を伴う。』と言うならば、
ストレートはパワーにものをいわせて速いけど、コーナーはかなり遅いビックバイク程危険なものは無い気がしました。

各クラス毎に決勝進出台数を設定しても、結果的にオープンと言う前提には変わりないので、
その辺の事を考慮するのも悪くは無いと思うのですが。

来年は、少しでも中排気量クラスのチームが決勝を走れるようなレギュレーションに、見直される事を期待します。


・使用金額 〜集計結果〜

幸運にも車両代が無料という所からスタートしましたが、それでも我々にとっては非常に多額のお金を消費しました。

5月から、7耐参戦の為に使った費用をまとめたので、今後参加される方々の参考として下さい。

まず、下表は共用品の使用金額をカテゴリーで集計したものです。(消費税別)


共用品費
項  目 内  容 金  額
参加料 エントリーフィー ¥20,280
スリックタイヤ 4セット+リア1本 ¥185,560
プロダクションタイヤ 5セット ¥158,830
レインタイヤ 1セット ¥46,100
ブレーキパッド フロント4セット/リア2セット ¥37,790
エンジンオイル 14L ¥27,280
パーツ,用品,ケミカル類 純正パーツ,クリーナー,整備費等 ¥128,154
チームTシャツ 30枚 ¥96,600
レーシングチェーン 2セット ¥20,280
缶スプレー 21本 ¥13,300
宿泊代 予選日8名、決勝日7名(ホテルツインリンク) ¥132,625
その他雑費 ピットクルー共済会費,12人分の支給品代等 ¥82,209
合  計 ¥949,008

まぁ、ホテル宿泊、カウルの色塗り、Tシャツとかは無くてもレース活動出来ますけど、
楽しむ事もレースとしている我々の場合と言う事で。

この合計額を単純に3で割ると、1人当たり316,336円となります。

これにプラス練習代が加わります。

下表は公式練習を含んだ、FZRだけの練習走行で、左の表が練習量。
右の表がそれにかかった私個人の費用となります。


練習量
日  付 練習本数
アキラHIRORSオータ
5月1日(金)
5月17日(日)
6月27日(土)
7月2日(木)
7月3日(金)
7月12日(日)
7月24日(金)
7月27日(月)
8月1日(土)
8月8日(土)
8月12日(水)
8月20日(木)
合計161615
練習費
項  目 内  容 金  額
高速代 首都高、常磐、外環等 ¥87,300
燃料代 トランポ(軽油440L) ¥32,800
燃料代 FZR(ハイオク357L) ¥48,829
走行料 10本 ¥31,500
合  計 ¥282,058

2人以上で練習にいった場合のFZRの燃料代はまとめて買ってるので、
使った燃料は、その総合計となっています。又、これには予選や決勝で使った燃料も含まれています。

3人の内、HIRO車に私、RSオータ車にRSオータとアキラといった具合に移動してましたので、
移動費に関して言うと、彼らは私の半分位になるでしょう。
トランポの消費燃料とその金額は、大方の燃費と平均値から目安で出してます。

これを前提として、使った金額の合計を計算すると、以下のようになります。

FZRの燃料代を単純に3で割ると、1人当たり約16,276円。2人分を合計から差し引くと、249,506円となり、

これに、共用費の個人負担額316,330円を合計すると、565,836円。

3ヶ月の間、実際はもっと細かいお金もかかっていますので、それを考慮すると、
私が使ったお金の総額は約60万、他の2人の分も合わせた総合計額は約170万といった所でしょうか。

はっきり言って、当初の予定を大幅に上回りました。

私の場合、地方選でGP250に参戦すると、1回約10万円使います。全戦エントリーすれば別ですが、
ロードレース履歴を見てもらえば分かる通り、去年、一昨年は年間3戦程しか出場してません。
TZの場合も、当然パーツ代やら遠征費が必要となりますので、その辺を大ざっぱに計算すると、
約1年分の活動資金をこの1戦で使った事になります。

我々は3人共、そんなにお金持ちでもなく、どちらかと言えば細々とロードレースを楽しんでいる部類に入ると思いますので、
もっと真剣にレースに取り組んでいる方々には申し訳ない気もしますけど、この3ヶ月で60万と言う数字は、
各自大変な負担を強いられました。

しかし、最近になっても、よく3人で酒を飲みながら、

「あんな経験、いくら払ったって買えるもんじゃねーよな。」

「やっぱ金かかるけど、そんなんじゃ計れねーよな。」

「普通の生活してたら、こんな30代ってあり得ないだろーね。」

と言った話で盛り上がり、もう既に来年のもて耐話に花を咲かせています。

付き合いの長い我々ですが、今回の件で知らなかった一面を見ることも出来、本当にやって良かったと思いました。



・感想 〜もて耐に参加して〜

Comp−usのクルーとして7耐に参加した方々へのお礼を述べると共に、ご本人の感想を紹介します。(順不同)

まずは、3人のライダーから。

アキラ
長かったもてぎ7耐が昨日終り、今、ホテルツインリンクの部屋でこのレポートを書いています。
レースの疲れがあるはずなのに夜明け前に目が覚めてしまったのは、7耐が終わったという安堵感とさみしさからかもしれません。
ホテルの窓からは霧の中にサーキットコースが見えています。今は誰もいないパドック・・・昨日の熱気が嘘のようです。
この3ヶ月半、僕たちが夢中になっていたもてぎ7耐、色々な事がありました。
何一つ、部品や金銭的なサポートをうけていない僕たちが完走30位と言う結果が残せたのは、
メカニック、ヘルパー、チームクルーと言うお金では買えない仲間たちがいたからこそです。
昨日のレースはチーム全員のだれか一人でも欠けていたとしたら、この結果は残せなかったでしょう。
忙しくて、苦しくて、それでも楽しかったこの夏のことはとても忘れられそうにありません。
たとえ、来年、さ来年、今年以上の結果で完走したとしても・・・。
窓の外は、すっかり夜が明けました・・・。
今、霧が晴れ、鮮やかな空がのぞきます。

殺伐として・・・

淋しくて・・・

冷たくて・・・

でも鮮烈な空!
まるで嵐が吹きぬけた後のような鮮やかな空です。
チェッカーの後、汗と油で汚れたみんなの顔は、この空のように素晴らしく、美しかった。

1998.8.23 ホテルツインリンクにて
アキラ

P.S.このあと僕はまだ7時前なのにみんなを起こしてひんしゅくを買った。

RSオータ
「もてぎの耐久出ようぜ!!」、HIROから連絡があったのが4月初めでした。
自分自身、いままで幾度か耐久レースに出場したことがありましたが、予選落ちやトラブルで、
一度もまともに走りきったことがなく、今回、耐久の話しがきたときは「こんどこそ完走」という意気込みでエントリーしました。
実際に7時間耐久プロジエクトが始まってみると、度重なるトラブルで走れない日が続きましたが、
そのトラブルもいろいろな方のサポートによりなんとか無事当日を迎えることができ、
本番でも予選落ちや70分耐久からの敗者復活などいろいろなことがありましたが、
自分達のおかれた環境の中でベストの結果を残すことができ、
また、クルーのみなさんとすばらしい時間を過ごせたことをうれしく思います。
最後に....
練習、予選、決勝とサポートしてくれた、メカニック、ヘルパーのみんなありがとう!!
来年も、もて耐いっしょにやろうぜ!!
(キザかなぁ..)

HIRO
一切のサポートを受けず、3人でお金と時間と労力を出し合い、純プライベーターとして参加した今回のもて耐ですが、
3人共、終始一貫して一度も転倒せず、よく頑張ったのではないかと思います。
周囲の人達の協力に助けられ、無事決勝に進出し、完走出来た今回の耐久は、
お金の力となりがちな昨今のロードレース界において、人の力でやり遂げた一つの形と言っていいと思います。
9人の方に手伝って頂きましたが、それでも人数的に少ないと感じる程、各自の分担作業が多く、大変だったと思います。
来年はこの事もふまえて、体制作りを検討したいと思います。
又、決勝中、怒鳴り散らしてばかりいて、本当に申し訳ありませんでした。去年から全く進歩してない自分を恥じております。

そして、手伝ってくれたヘルパー,メカニックの方々。

L1−A
ライダーの皆の真剣さがひしひしと伝わってきて、いいチームだなと感じました。
うちらは(ミニバイクということもあるけど)のほほんとしすぎてるので。良い刺激を受けました。

70耐行きが決まったときにアキラ君がベストヘルパーKAZUさんに話していた
『俺らのバイクは遅せーからしょうがないけど、バイクが遅いのもひっくるめて、俺らの実力だから・・・』
『金さえ突っ込めば速いバイクはいくらでも手に入れられるけど、そこまでやらなかったのも、俺らの選択だから』
ってのは、レースを真剣に楽しんでる姿勢を感じました。

ヘルパーの皆さんも真剣で全然ちゃらちゃらしてないのはちょっと驚きでした。(^^;本当にいいチームです。
又是非ご一緒させて下さい。


自ら率先して動き、今、ピットに足りない物、必要な物を的確に判断し、瞬時に行動していたL1−Aさん。
事実上のチーフメカニックとして、働いて頂きました。大変感謝しております。
パッドの交換作業で右手に火傷を負わせてしまいましたが、翌週のレースに支障はありませんでしたでしょうか?
来年も又、チーフメカニックとしてお願いしたいと思ってます。

みの
普段からマシン整備をしてないので、タイム計測ぐらいしかできませんでしたが、とてもいい経験になりました。(管理運営等)
ゴールの時はミニ耐などの「ふぅ、終わった。」ではなく「やったぁぁぁぁぁぁぁ。」って感じでした。(伝わるかな?)
また、最近の(ロクに整備もしないくせに(爆))カリカリとした自分のレースとは違う何かを見つける事ができたような気がします。
また、機会があったら御一緒させてください。


よく考えたら、7時間ぶっ通しで休憩の無いマサ(爆)の仕事を、自分の休憩時間に代わってやってくれてありがとう。
その優しさに感謝します。
又、私のピットイン・サインをピットへ伝えてくれてありがとう。
みのが居なかったら、ピットインした時、スリックの用意がされておらず(汗)だったでしょう。
勿論、来年もお願いしたいと思ってます。

クロ
エントリーした3人のライダー&サポートのみなさま(俺もそうだちゅうの)大変お疲れさまでした。
そして数多いトラブル(リアブレーキの引きズリ、エンジンブロー等々)にもメゲず30位という立派な成績、本当におめでとうございます。
来年からは すこしでも多くのサポートを していきたいと思います(あまり多くの期待をしないように)
それでは、また「酒蔵オータ」で会いまひょう(^^)@@


仕事を休んで手伝いに来てくれたクロ。バイク屋の整備と違い、時間の感覚に戸惑ったようですが、最後までキッチリと
担当の作業をこなしてくれました。

トシ
自分がヘルパーデビューした中での感想は、何をして良いのかわからない状態でした。
まあ、不慣れな事やメカに弱いところも左右したと思うけど...

レースに対する感想は、30位入賞は快挙と思いました。
それよりマシンの性能に差があるレースでちょっと愕然としました。
同排気量同士または、カテゴリーを決めて予選枠を決めてほしかったです。
そうすれば、もう少し盛り上がったと思います。

自分自身の感想は、来年絶対ライダーとして出場したいと思いました。

感動話は他の人にまかせます(苦手なんで)。
一言だけ言わせてもらうと
ゴールの時は上腕三頭筋まで、チキン(鳥肌)状態でした。


我が弟よ。君に一番お礼を言いたい。参戦計画の途中から、君の物になった2台のFZR。
スペアFZRのクランクを快く貸してくれた事に感謝します。
君がいなければ、我々3人は本番を目の前にし、出場を断念せざるを得なかったでしょう。
ありがとう。又一緒に練習行きましょう。

えみゅ〜
茂木7時間耐久レースにはComp−usのヘルパー見習いとして参加させていただきました。
最初はほんとに軽い気持ちで公開練習を見にいって、
レース本番もみてみたいにゃぁ〜というこれまた軽い気持ちでいました。
でも、決勝を観に行くかどうかは本当に迷って、ぎりぎりまで返事を延ばしてしまって・・・
というのも、こんな軽い気持ちの私がいっては、真剣に取り組んでる皆さんに
申し訳ないような気がしていたので・・・
でも、「迷ってるなら来い!!」と言われて、
「やっぱり行ってしまえ〜」と新幹線・水戸線・真岡線を乗り継いで行ってしまいました。
(めっちゃ時間がかかってすこしへこんだ・・・)
びっくりしたのは7時間の役割タイムスケジュールに既に私の名前が組み込まれていたこと。
それで一気にお気楽モードから緊張モードに入ってしまい、「おいおい、私が緊張してどーする」ってかんじでした。
でも、役割をもらったおかげで、「観に来た」ではなく「参加してる」って思えてほんとによかったです。(=^-^=)ニコ
決勝で最終ライダーのRSオータさんが最後の周回で戻って来たときは
「やったぁぁぁーーー(=~0~=)/」って思ってほんと嬉しくなりました。
全くど素人の私で簡単なことしかお手伝い出来ませんでしたが、ほんとに楽しかったです!(=^0^=)
HIROさんはじめライダー・メカニック・ヘルパーの皆さん、ありがとうございました。
また、機会があれば参加してみたいにゃぁ〜と思っています。(=^-^=)ニャ


きびきびとして、初めてとは思えない働きぶりでした。
ピットに帰って来る時は、いつも貴女の持っていたストップボードを目標にバイクを停止していましたが、
真っ直ぐ自分に向けて凄いスピードで突っ込んでくるので、さぞかし恐かったのではないかと思います。
これに懲りず、又参加してくれる事を願います。

KAZU

 大変緊張した、しかしながら、あっという間に終わった2日間でした。
 私はヘルパーとして参加させて頂きました。これまでにも、何度かスプリントレースには参加し、
ヘルパーもどきのことはしてきましたが、ヘルパーという自覚はあまりにも薄いものでした。
このような私が、あらたまってYSP八王子&Comp−usのチーム員として、そのような大役を
頂くのも大変おこがましいことなのですが、1人でも多くの協力が必要な上に、アキラ
が出場するとなれば、そんなご託を並べている場合ではありませんでした。
 ところで、皆さんはヘルパーという言葉からどのようなイメージを持たれますでしょうか。
気の利いた、少々おせっかいでも行動力のある、チームのマネージャー的存在、このようなイメージ
を持たれる方も少なくないと思います。少なくとも、私はそのような人がヘルパーにふさわしいと思いますし、
また、文字通り、“手助けする人”でなければならないと思っています。
しかしながら、私にはそれらが足りません。何度レース場に足を運んでも、レースのことに関しては
無知な私です。そのような世界に、横からしゃしゃり出るのが苦手な私は、頭の中で考えるだけで、
身動きとれず、一歩踏み出した行動ができません。このような私ですから、できることといったら、
ラップタイムを計るくらいのもので、これといって他にありません。でも、数少ない仕事だからこそ、
限りなく完璧にこなそうという思いはあります。
偉そうに言うならば、責任感というものかもしれません。しかし、この数少ない仕事をこなすにも、
私には、大きな欠点がありました。あがり癖。
 肝っ玉の小さく、そして、これ以上増えるはずもない、数少ない脳細胞のなせるわざで
頭の回転も速くない私は、初めてすることに対しては、大きな不安感を覚え、その不安が極度の緊張感を生み出します。
そんな緊張感など、ライダーの、私には想像もつかないような精神的、肉体的ストレスにしてみれば、
雀の涙程のものでしょうが、今回のレースもまた、例外ではありませんでした。

 予選当日から、お決まりのミスをおかしてしまいました。そんなミスは予選に、何らかの影響を与えるものではありませんでしたが、
私には、任務遂行の強い思いがあります。そんな思いの中でおかしたミスはどんな些細なことであっても、
心の動揺を招き、こんなこともできないのかという自責の念にかられます。次はきっとうまくやると思いながらも、
やっぱり違うミスをしてしまいました。自己嫌悪の一日の始まりです。
 夕方、70分耐久レースに参加しなければならなくなりました。耐久レースには、普通のレースと違って、
ライダー交代があります。緊張感が高まります。ここで上位入賞しなければ決勝には出場できなくなりますので、
ライダー達にとってはここがふんばりどころですが、ここでの練習が明日の決勝での仕事につながると思えば、
私にとってもふんばりどころでした。
 何とか無事終わり、決勝に出場できることになり、私も、この調子でいけば、明日も何とかやれそうだという、
ちょっとした自信がつきました。あがり癖の私も反復練習すれば人並みにできるようになるという証です。

 決勝日。昨日練習したとはいうものの、やはり、緊張感が高まります。HIROさんの作った役割分担表が、
私の、いつもの任務遂行の念に拍車をかけます。
自分の行動パターンを何度も頭の中でイメージしていきました。
 いよいよスタート。第一走者はアキラ。私と高木さんが彼の走行中の担当でした。
行動力のある高木さんはよく動きます。プラットホーム上に1人とり残されると、子供のように心細くなりました。
でも、そうした気持ちも、回数を重ねていくうちに全くなくなり、いつしか、緊張感も取り除かれていました。
反復練習は私の強い味方です。
 担当から外れている間に、私は初めてガソリンを買いにいきました。この行動は私にとって一歩ならぬ半歩の踏み出しです。

何度か買いに行っているうちに、スタンドのおじさんが話かけてくるようになりました。
町おこしの大イベント、“もてたいレース”といった感じて、おじさんの表情は楽しそうでした。

  おじさん:「順調ですか?」
  私   :「順調です。」
  おじさん:「よかったですね。」
  私   :「でも、昨日は予選落ちして敗者復活戦の70分耐久レースにでて、ここまできたんです。」
  おじさん:「そうですか。」

 きっと、70分耐久レースのことなど、おじさんにとっては、訳の分からないことだったにちがいありませんが、
私の表情をみてとってか、あるいは、次から次へと来るお客によって、懐が暖かくなったせいか、
おじさんもうれしそうな表情をしていました。こんな会話ができる程、昨日では想像もつかないような、心の余裕がでてきていました。

 18:00が過ぎ、とうとうチェッカーとなりました。安堵と喜びでいっぱいでした。
 おまけですが、私は“ベストヘルパー賞”なるものを頂きました。
数多くある賞の中で、確たる判断基準がなく、最も曖昧で、最も不可思議な賞です。
“ベストヘルパー賞”と口にするのも恥ずかしくなってしまいます。なぜ選ばれたのか、私には皆目見当がつきません。
“下手な鉄砲数打ちゃ何とか”ということわざではないですが、プラットホーム上、女子に話しかければ、
ヘルパーにあたる。といった具合で、関係者側にとってもさしたる理由はなかったのかもしれません。
それほど摩訶不思議な出来事でした。訳の分からない賞だっただけに心底喜べませんでしたが、
賞を頂くということは大変ありがたいことで、いい記念になりました。
来年もまた参加させて頂きたいです。


いつもそんなに緊張していたとは知りませんでした。
KAZUさんは、もう立派なヘルパーだと思います。私から見ても、あの中ではベストヘルパーと言えるでしょう。
自信を持って、これからも宜しくお願いします。

GOMA

もてぎ7h参戦レポート(GOMA)

ロードレースのヘルパー(お手伝い程度ですが)を初めて約3年の私ですが、
耐久のヘルパー、まして監督という立場(必ずその日にいるって事で決まった)で参加する事になり、
何をして良いのか解らない不安よりも初めて耐久に参加出来る、ワクワクした気持ちで一杯でした。
でも、それは始めだけで耐久が近づくにつれて、不安な気持ちの方が大きくなりました。
それは、耐久までのドキュメントをお読みになった方々には説明するまでもありませんが。

私が初めて、耐久で乗るバイクを見た時の感想は
 ボロくて(いつも皆の奇麗な(?)TZをみていた為)大きくて重そうでした。
そして、走ってみると
 音が静か(町中でも走れそうな位)で遅い(ど素人の私が見ても、分かる程)
これで大丈夫?なんて偉そうに心配したりして。

でも、練習走行の度に少しでも速く走る為に模索していましたね。
細かいセッティングは私には分かりませんが、「タイヤをスリックに変える」って聞いた時は
びっくりしました。その上、それが当たりだったのには二度びっくり!
(エアーを入れる作業は相当な苦労の様でしたが)

予定通り?、少しづつタイムが出始める頃から、バイクの調子が悪くなり、
タイムを出す為の走行(走りだけに集中できる環境)がなかなか出来なくなり、
遂にエンジンが壊れ、これで耐久はどうなっちゃうの???と一人ハラハラした私。
さすがに、その時の三人の「へこみ(Comp-us語?)」は凄かったけれど、
「俺達はこのバイクで自分達に出来る範囲でベストを尽くす!」と初めから決めていたそうで、
耐久までの一週間で、エンジンの乗せ換えやカウル塗り等など、いつも前向きに頑張っている姿を見て、
「つくづく走る事が好きな人達なんだなぁ〜。」そして「追い込まれる程、力を出せるんだなぁ。」
と感心しながら、応援していました。
そして、私がした事と言えば、
『三人が怪我をせずに決勝に出場出来て、三人が満足できる結果になります様に。』
と、神頼みをする位でした。

でもこの神頼みって叶ったんですよね?
予選は惜しくも51位(しかもタイム差が殆どない)で予選落ちになりはしたが、
みごとに敗者復活戦から、復活し決勝出場(53番グリット)を決めて、
決勝は目標にしていた30位でゴール出来たし。
しかも、三人共にベストタイムを更新。(やはり、追いつめられると強かった?)

長いようで短かった7時間!
「チェッカ〜〜!」した時は今までの練習・トラブル等を思い出して、涙が出そうになりました。
あの時の感動は、いつまでも良い思い出になるでしょう。
7耐のドキュメントを読むと、あの時の感動が蘇ってくるようです。(うるうる)

決勝日、監督の権限でデシャバッテしまいました(他のヘルパーの方々御免なさい)
この場を借りて、お詫びします。
そして、この素晴らしい経験をくれた「速くて素敵なライダー三人」に感謝します。
素敵な思い出をありがとう。

なんて、くさい文章じゃ!でも、7耐を語るとこうなるんですよね。


監督としての自覚を持ち、自ら率先してピットの指揮・統括をこなしてくれた事に、深い敬意と感謝の意を表します。
みんなの協力を得ながら、クルー9人を取りまとめたその功績を称え、ベスト監督賞を贈りたいと思います。(賞品は無しです)
改めて、これからも宜しくお願いします。


手伝ってくれた人達、応援してくれた人達、そしてアキラとRSオータ。みんな、本当に、本当にありがとう。




最後に。
我々は、今まで特にチームという意識を持たずに今迄活動してきましたが、今回の、このもて耐を機に、
正式にレーシングチームとして発足する事を決定します。

日付1998年8月22日(土曜日)
チーム名Comp-us Road Racing
読みコンパス ロードレーシング

これからも、続けられる限り、ロードレースを楽しんでいきたいと思います。今後とも宜しくお願いいたします。ありがとうございました。


以上

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